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岩手堅田財団 ロゴマーク

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岩手堅田財団のロゴは、岩手の子ども
たちと、岩手の  i(愛)がモチーフ
です。
緑は、岩手の自然豊かな大地、青は大
空と三陸の海をイメージしています。
 

マスコット 春風(はるかぜ)

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岩手ゆかりの俳人 高浜虚子 の
春風や闘志いだきて丘にたつ
から名前を頂きました。
逆境に負けず、自分の目標に向か
って巣だと
うとする子どもたちを
春風と一緒に応援します。
 
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「子どもたちは未来の設計者」という視点から震災の「その後」と教育を振り返ります。書籍化し学校、図書館への寄贈を目指しています。

 
子どもたちは未来の設計者~東日本大震災「その後」の教訓~

はじめにー本文紹介

私は、東日本大震災・津波(以下「東日本大震災」または「震災」と記述)の翌年、平成二十四年四月から、大槌町立大槌中学校と陸前高田市立気仙中学校に、それぞれ二年ずつ四年間校長として赴任しました。
震災以前、沿岸部に通算十四年勤務していた経験からか「あなたには土地勘があるから」という上司の一言での赴任でした。

本題に入る前に、筆者と被災地との関りを知って頂きたいと思い、冒頭、第一章では、かつて暮らした町や学校の被災状況を簡単に紹介させて頂くことにしました。ご承知の通り、大槌町と陸前高田市は、どちらも壊滅的な被害を受けた町です。

ところが、不安と緊張を抱えながら赴任した被災地で、私が出会ったのは、意外にも、明るく前向きに生きる子どもたちでした。被災地のどまんなかで目にした彼らの輝きは、まるで奇跡を見ているようでした。
第二章では、復興の原動力となり多くの支援者を励まし続けて来た被災地の子どもたちの笑顔を紹介しながら、その笑顔の源について考えています。

これまで、地震発生から津波が襲来するまでの様子や、避難所生活から学校再開までの軌跡は、「教育を紡ぐ(明石書店)」「被災の町の学校再開(岩手復興書店)」「陸前高田市東日本大震災検証報告書」等を始め多くの書籍、文献等で紹介されてきました。
死者行方不明者18,430人(2019年三月現在)という未曾有の災害を生き延びた児童生徒と教職員の行動は、戦慄と感動を禁じえません。
しかし、震災の「その後」について紹介する文献はそう多くはありません。「その時」ほど、話題にならないためかもしれませが、学校再開から復興、正常化を目指す過程でも、被災地では様々なドラマや課題が有りました。しかも、「その後」は長く、今も続いています。 

たとえば、被災地では心のケアが大きな課題でしたが、心のケアは、「心」という「命」にふれることです。私たち教師による「にわか仕込みのカウンセリング」では失敗した時のリスクも懸念されました。
そこで、私は、生徒の心の傷にふれることより、教師本来の得意分野を活かして、生徒が安心して生活できる集団づくりに力を入れた方が良いと考え、行事や体験活動を大切にして、学校生活を楽しむこと、日々の学校生活に「うるおい」を与える方向に、学校経営の舵を大きく切り換えたのです。
これが、第三章で詳しく紹介する「集団のケア」の考え方です。全校での「焼肉カーニバル」や「七夕飾り」、「豆まき大会」などは、こんな思いから実施したものです。
学校が災害や重大事故に巻き込まれると、報道的には、臨床心理士やスクールカウンセラーの派遣が注目されますが、当時者である学校は、専門家と連携した心のケアと併せて、これまで以上に生徒が安心して生活できる集団づくりを大切にすべきと考えています。

被災地では至る所で、被災者と支援者との間にミスマッチも起きていました。
たとえば、被災校は、押し寄せる芸能人や著名人の対応に苦慮していました。傍から見れば芸能人の訪問は、羨ましく見えるかもしれませんが、地方の一中学校に、一世を風靡する人たちが入れ替わり立ち代わり訪問する様子を想像してみてください。日常と非日常の逆転は、学校の正常化とは相反するものでした。

芸能人や著名人だけではなく、学校間の交流にも苦慮していました。実際に、私自身、交流を断った側の一人です。正確には「断らざるを得なかった」というのが実情でした。
第三章では、支援者との交流の難しさについても取り上げ、逆に、第四章では、支援者との交流が上手くいった事例を紹介しながら、被災者と支援者との望ましい関係について一緒に考えて頂きたいと思いました。
自然災害は全国各地で発生しています。これから、東日本大震災に限らず、被災地支援や被災校との交流を考えていらっしゃる方には、この二つの章は、ぜひ一読して頂きたいと願っています。「東日本大震災後に起きたミスマッチを繰り返してはいけない」というのが、本書を執筆した理由の一つです。

大槌中学校も気仙中学校も、数えきれないほどの支援者と交流がありましたが、第三章、第四に限らず、頁数の制限から、すべての支援者、支援団体をご紹介できないことは、どうかご容赦願います。

ミスマッチは被災地に寄せられる支援物資でも起きていました。筆者が赴任した時、廃校や被災を免れた教室には、文房具や古本が野積みにされていました。賞味期限が切れた食品や、カビが生えた衣類が大量に処分されたというニュースも目にしました。
第五章では、支援物資のミスマッチが起きる要因と、ミスマッチを軽減する方法の一つとしてICTを活用したマッチングについて具体的な事例を紹介させて頂きました。

震災以前のことですが、私は、花巻市にある岩手県立総合教育センターに長く勤め、長期研修時代に教育工学を学び、その後は、学校と教育センターとを何度か出入りを繰り返しながら、主に情報教育の研究と研修講座を担当し、震災の時は、同センターの企画調整を担っていました。
また、大学は工学部で、後に「岩手山の火山活動に関する検討会」の座長や岩手大学の副学長等を務められた斎藤徳美名誉教授の下で、地震波や防災工学を学んだことから、教職に就いてからも、防災・減災教育には興味がありました。
第五章で「ICTを活用した支援物資のマッチング」、第七章で「災害時の情報伝達」について触れていますが、これは、情報教育に携わった者として伝えたかった震災の教訓で、第六章では、震災以前から防災・減災教育に携わった者の一人として被災地での避難訓練、防災・減災教育の在り方に一石を投じさせて頂いています。

震災直後から、被災地では、避難訓練、防災・減災教育に取り組んでいますが、津波の常襲地帯と言われる三陸沿岸でも大津波が発生するのは数十年に一度です。これから、被災地が直面する本当の課題は「震災の風化との闘い」です。
震災の風化、災害を忘れた頃の避難訓練や防災・減災教育が、如何に難しいか、このことに改めて気づいて頂くために、東日本大震災の18年前に起きた北海道南西沖地震の時、筆者が経験したエピソードを紹介しています。
北海道南西沖地震では、三陸沿岸にも津波警報が発令されたのですが、住民があまり避難しなかったことから、科学部の生徒と一緒に、この津波警報に対する住民の意識と行動の調査を行ったところ、実際に避難した住民は僅か6.9%だったのです。
さらに、この調査結果を基にして、生徒会が中心となり、津波防災学習会を実施したところ、周囲から「大袈裟な学習会」と揶揄されました。
当時は「津波が来るぞ」と声を上げる人間は「オオカミ少年」のように見られていたようです。これは、震災前の話ですが、東日本大震災から時が経つにつれ、これから被災地が直面していく課題です。震災前の避難訓練、防災・減災教育が難しかったことの事例は他にも取り上げています。

震災後の被災地では復興を担う人づくりも大きな課題でした。
被災地の将来を担うのは、言うもでもなく子どもたちです。その子どもたちが、将来どんな町をつくるのか、とても気になるのですが、彼らの町づくりに大きな影響を与えるのは、彼らの少年時代の「原風景」のように思えてなりません。つまり、私は、「子どもたちの『今』の体験が未来をかえる」という考えに辿り着いたのです。
だとすれば、「未来を担う子どもたちには、豊かな体験『原風景』が必要であり、行事や体験活動は、もっと大切にしてあげなければならない」と強く思うのです。これが、本書のタイトル「子どもたちは未来の設計者」に込めた筆者の思いです。

私は、震災前、ライフワークの一つとして、水辺の活動の教材化に取り組んでいました。「親水活動」と自称し、子どもたちと一緒に川に出掛け、小魚やサワガニと戯れている子どもたちを見ていました。その時、ふと、「将来、もし、彼らが治水工事の担当者になったなら、どんな治水対策をするだろう」「どんな護岸工事をするのだろう」と思うことがありました。
もちろん、彼らがどんな治水対策をするかは、彼らの自由ですが、彼らの記憶の中に水辺の「原風景」が残っていれば、護岸工事の設計図は自ずと変わってくると思ったのです。

同じように、被災地でも、子どもたちを町づくりに参加させることも大切ですが、私には、それ以上に、彼らを瓦礫の町に歩かせることや、津波でなぎ倒された防波堤を素手で触れさせることの方が大切に思えました。
もし、彼らが、将来、防災担当者になったなら、防波堤や嵩上げだけではなく、今の私たち(大人)には思いもよらない防災方法を考えるかも知れないと思うのです。

私は、昨春、38年間の教師生活を終えましたが、これまで大切にしてきたのは、「子どもたちは未来の設計者」という考えから、行事や体験活動でした。
  
残念ながら、昨今の教育の流れは、行事や体験活動は削減される傾向にあります。学校が五日制になり、働き方改革を推進するためには致し方がないとは思いつつも、ここで今一度、行事や体験活動の大切さに気づいて欲しいという思から、本書の結び(終章)では、あえて、親御さんも先生方も気にされる学習意欲や学力を取り上げ、「スイッチング」と「三つ子の魂」というキーワードから、行事や体験活動の大切さを説明させて頂きました。

保護者や教育関係者なら頷かれると思いますが、中学校に入学してくる生徒の中には、黙っていても勉強する子が沢山います。スポーツでも、血豆を潰しながら素振りを続ける野球選手のように、自ら練習に励む生徒は沢山います。被災地でも、家を流され肉親を失いながら、それでも希望を失わず前を向き続け、勉強に勤しむ生徒を沢山見てきました。
なぜ、彼らは進んで勉強するのか。いつから、勉強するようになったのか。なぜ、彼らは素振りを止めないのか。この素朴な問いに、真剣に向き合うことができれば、教育は大きく変わると信じています。
終章をお読みになって頂ければ、筆者が、被災地の校長として、何を大切に、人づくりに取り組んでいたのかご理解頂けると思います。
第八章の「三陸の自然」と「遠野物語」は、東日本大震災の「その後」の教訓からは、少し、話が逸れますが、教師としての私の原風景です。「子どもたちは未来の設計者」という言葉が生まれた背景ですので、箸休めのつもりで読んで頂ければ幸いです。

仕事柄、文章表現が報告書や論文のようになり、平易で修飾語に欠けている点はご容赦願います。

本書は、ぱるす通信出版社春日栄代表取締役(当時)の奨めにより、平成二十四年から平成三十年まで、「ぱるす通信『こころの薬箱』」に「子どもたちは未来の設計者~被災地から報告~」と題して連載させて頂いた原稿を基に執筆しています。

本文は随時掲載します。

岩手堅田財団理事  鈴木利典(元大槌中学校校長・元気仙中学校校長)
 
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